印鑑の問題解決
どこか公園のような、自然を感じられる場所がお勧めです。
どこかに着くために歩くのではなく、「ただ歩くために歩く」という意識で歩「うわのそら」から「今、ここ」へ一瞬一瞬のかけがえのなさを思い出せる美しさを味わうことができる人のこころに共感できる共にあるという感覚がつかめるそれが、「マインドフル」きます。
わずかにほぼえ承、大地との接触を楽しみ、一歩一歩に心を込めて、自分がこの世で一番幸せな人間であるかのどとく歩きます。
やって承ると、かなりゆっくりとした歩きになるはずです。
スローモーションではないゆっくり感です。
そして、ふと「自分が自分と一緒にいる」という感じがつかめる瞬間に出逢いその時、緑が、空が、風景が、とても鮮やかに見えるはずです。
「豊かさを味わえる豊かさ」を体験することができます。
歩くペースは、一息吸う間に2~3歩、吐く間に2~3歩。
未来のことも考えず、過去のことも考えず、ただ呼吸と歩くことだけに集中します。
私は子どもの頃、引っ込み思案で友達も少なく、家庭が荒れていたこともあり、行き場所がありませんでした。
たくさんのお菓子や貸し本がある駄菓子屋さんは当時の私にとって現実を忘れるオアシスでした。
それは、多くの人を支えた、私の故郷にある駄菓子屋さんのお話。
心の友と書いて、「心友」。
私の心友の一人である佐藤治さんがわかちあってくれた心温まるエピソードをご紹介します。
駄菓子屋さんのおばあちゃんは、いつもにこにこしながら、私を迎えてくれました。
少ないお小遣いを握りしめて、いつも駄菓子屋さんに通っていました。
雨の日も雪の日も、毎日その駄菓子屋さんに通っていました。
一日加円しか買い物をしない客、利益にしたら数円にしかならない客である私を笑顔で包承込んでくれました。
そして、お金を渡すときに触れるおばあちゃんの手は、しわしわでしたがとても温かく、手のぬくもりを通じて心まで抱いてくれていました。
時を経て、ようやく友達もできはじめ、その駄菓子屋さんに毎日通うこともなくなりましたが、たまに行ったときも、「よく来たね。
お友達増えてよかったね。
またいつでもおいで。
私はこのお店にいつもいるからね」あるとき、お店が休承になっていました。
そして私にとっては、自分を認めてくれる場所でもありました。
帰るべき場所を見つけた安心感が私を羽ばたかせてくれました。
と言ってくれて、いつも温かく見守ってくれていました。
幼稚園児・小学生・中学生、そして大人も、お店には世代を超えて、多くの人たちが出入りしていました。
私だけでなく、多くの人にとって、その駄菓子屋さんはもう一つの我が家となっていました。
n年間で一日も休んでいないお店が休承になった知らせは、またたく間に街じゅうに広がりました。
皆がおばあちゃんのことを心配していたら、その心配は現実のものとなりその日、おばあちゃんが静かに旅立たれたのです。
とても縞麗な笑顔だったそうです。
皆が悲しみに暮れていました。
街は灯を失ったように暗くなっていました。
駄菓子を見ると、ふと思い出すおばあちゃんの話。
今にして思えば、私はお菓子が欲しいわけでもなく、本を読承たいわけでその後、ご遺族の方がお店を閉める準備をはじめました。
そのとき、その町で育った大人たちが言いました。
「おばあちゃんが遣してくれた灯を灯しつづけたい。
私たちの手でこのお店を続けよう。
私たちが毎日、交代で店にいるから、ぜひ続けよう」と。
おばあちゃんのお店は、おばあちゃんが温かく見守りつづけた「子供たち」に受けつがれました。
今この街では、おばあちゃんから受けた「おもてなし」という「恩」を、皆で日本語に、「恩送り」という言葉があります。
江戸時代には日常的に使われていた言葉です。
受けた恩をその人に返すのが、「恩返し」。
受けた恩をその人ではなく、他の人にわかちあうことを「恩送り」と言うのだ「いらっしゃい」という優しい声とともに。
もなく、おばあちゃんの温かい手に触れたかったために毎日通っていたのだなと思います。
そして、いつも笑顔で温かく迎えてくれるおばあちゃんの笑顔に会いに行っていたのだとも思います。
私たちの街の子供たちを温かく包んでくれたおばあちゃんの笑顔は、多くの子供たちの希望の灯となって、今も私たちの心に灯っています。
そうです。
ビジネスとは、豊かさのわかちあいのことなのですから。
わかちあっているのでしょう。
受けつがれる希望の灯。
私たちは、これまでどのような希望の灯を受けつぎ、これからの未来にどのょ世の中がいかに変わろうとも、人の心と商売の基本は普遍のものであってほしいという希望を語りついでいくのでしょうか?私は独立する前に、会社員生活をしながら演劇をしたり、セミナー講師をしたり、俗に言う二足どころか三足四足の草畦をはいていました。
その頃、よく聞かれたことがあります。
「本業は、人生です」「平野さんの本業は、何ですか?」私は、いつも次のように答えていました。
多ノ、の方が、携わっている仕事を本業とし、自分の人生が副業になってしまつ人生にとって仕事というのは確かに大切な要素ではありますが、仕事に人生が振り回されているとしたら、本末転倒と言うほかありません。
会社で仕事をしているときは仕事の役割を、演劇をしているときはその役柄を、セミナーをしているときは講師役を、精一杯務めることが、「人生という舞台」を成功させるという気持ちで、それぞれを楽しんでいました。
そういう意味で、本業である人生という大舞台をいかに輝かせるかが、一番大切なことだと私は思います。
輝かせるためには、自己啓発という自分への投資が必要になります。
啓発とは、新しい知識に目を開くことの意味ですから、スキルやテクニックを身につけること、つまり今の自分にないものを付け加えることも非常に大切なこしかし、自分の外側のことばかhソに集中していると、いつしかそれは鎧のように、だんだん重くなってきて、身動きが取れなくなってしまいます。
本来の啓発とは、今不足していることを付け加えるのではなく、すでにあるものに磨きをかけることです。
「すでにあるもの」というのは、自分の感性や個性、そして、自分が本当に望んでいることです。
「すでにあるもの」を呼び覚ますキッカヶとなるのが、この本の中で何度も言ってきましたが、「感動」なのです。
感動とは探すものでも発見するものでもなく思い出すもの。
脳科学者茂木健一郎氏は、著作『脳の中の人生』(中公新書ラクレ)の中で、世界的な数学者であるロジャー・ヘンローズ教授の大変興味深い言葉を紹介してそれは、人間に等しく与えられた「命というギフト」のことです。
命は、誰もお金を払って買ったわけじゃないですから、「ギフト」なのです。
「すでにあるもの」仕事や趣味の世界で何かを成し遂げることも素敵なことですが、もっと素敵な命を使うと書いて「使命」。
創造することも感動することも、外にある新しい何かを求めるのではなく、内にある「すでにあるもの」を呼び覚ます行為なのです。
「創造することは思い出すことに似ている」ことは、本業である人生において、与えられた「ギフト」を目一杯使って、まわりの人を輝かせ、その明かりで自分が輝くことです。
自分だけが輝くと影ができますが、まわりの明るさで輝けば、影ができないのです。
ビジネスに迷い、何をやるべきかわからなくなったときには、この本を思い出してください。
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